96:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:23:15.89 ID:VnWGrOgI0
三十万はあっという間になくなった。
俺は勢い余って、財布の金にまで手を出した。
きっと俺は、誰かに構って欲しかったんだろうな。
「何かあったんですか?」とか聞いて欲しかったんだろう。
三十三万円配り終えると、俺は道の真ん中で立ち尽くした。
道行く人が不快そうに俺のことを眺めていた。
タクシー代も残っていなかったので、
俺は建物の陰になっているベンチで寝た。
真上に傾いた街灯があって、しょっちゅう点滅していた。
ミヤギも正面のベンチで寝るようだった。
女の子にひどいことさせんてなあ。
「先に帰っていいんだぞ?」
俺がミヤギにそう言うと、彼女は首をふった。
「そしたらあなた、自殺とかしそうですから」
97:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:27:15.69 ID:VnWGrOgI0
眠りにつくまで、俺は真上に広がる星空を眺めていた。
最近、夜空を見る機会が増えた。七月の月は、綺麗だ。
俺が見逃していただけで、五月も六月もそうだったのかもしれない。
俺はいつものように、眠りにつく前の習慣を始めた。
頭の中に、いちばんいい景色を思い浮かべる。
俺が本来住みたかった世界について、一から考える。
五歳くらいから、ずっとやってる習慣だった。
ひょっとしたら、この少女的な習慣が原因で、
俺はこの世界に馴染めなくなったのかもな。
98:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:30:22.27 ID:VnWGrOgI0
六時ごろに目を覚まして、俺は歩いてアパートまで帰った。
街の外れでは朝市をやっていて、早朝から騒がしかった。
四時間くらい歩いて、ようやくアパートについた。
一昨日の件もあって、両腕両足が悲鳴を上げてたな。
もっと安らかに生きることはできないのかね、俺は。
シャワーを浴びて着替えると、寝なおした。
ベッドだけは俺を裏切らない。俺はベッドが大好きだ。
さすがのミヤギもそれなりに疲れたらしく、
監視もほどほどに、すぐシャワーを浴びて、
部屋のすみっこでうつらうつらしていた。
99:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:33:47.33 ID:VnWGrOgI0
机の上には、書きかけの遺書があった。
だが、続きを書くのは何だか馬鹿らしかった。
誰も俺の言葉なんて気にしちゃいないんだ。
会いたい人もいないし、そうなると、
いよいよすることがなくなってしまった。
散財しようにも金は昨日配りきってしまったし。
「何か他に好きなことはないんですか?」
ミヤギは俺にを励ますように、そう訊ねた。
「やりたかったけど、我慢してたこととか」
そこで割と真剣に考えてみたんだけど、
俺、どうやら好きなことがあんまりないらしい。
あれ、今まで何を楽しみに生きたんだっけ?
100:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:37:32.94 ID:VnWGrOgI0
かつて趣味だった読書も音楽鑑賞も、
あくまで「生きていくため」のものだったんだよな。
人生に折り合いをつけるために音楽や本を用いてたんだ。
いざ余命三か月となると、何もしたいことがなかった。
薄々感づいてはいたけど、俺って生き甲斐がないんだ。
寝る前の空想だけを楽しみに生きてたとこがあるな。
監視員は言う、「別に無意味なことだっていいんですよ。
私が担当した人の中には、余命二か月すべてを、
走行中の軽トラックの荷台に寝そべって
空を見上げることに費やした人もいるんです」
「のどかだな、そりゃ」と俺は笑った。
101:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:40:35.29 ID:VnWGrOgI0
さらにミヤギは、こう言った。
「考える時は、外に出て歩くのが一番です。
お気に入りの服に着替えて、外に出ましょう」
いいこと言うじゃないか、と俺は思った。
段々とこの子は、俺に優しくなってきているように見える。
もしかすると、監視員は監視対象との接し方が決まっていて、
彼女はそれに従っているだけなのかもしれないが。
俺はミヤギのアドバイスに従って外を歩いた。
ものすごい日差しが強い日だったな。髪が焦げそうだった。
すぐに喉が渇いてきて、俺は自販機でコーラを買った。
「あ」、と俺は小さく声を漏らした。
102:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:44:32.07 ID:VnWGrOgI0
「どうしました?」
「……いや、実にくだらない事なんだけどさ。
好きなもの、一つだけあったことを思いだした」
「言ってみてください」
「俺、自動販売機が大好きなんだよ」
「はあ。……どこら辺が好きなんですか?」
「なんだろな。具体的には自分でも分からないんだが、
子供の頃、俺は自動販売機になりたかったんだ」
きょとんとした顔でミヤギは俺の顔を見つめる。
103:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:51:29.82 ID:VnWGrOgI0
「あの、確認ですけど、自動販売機って、
コーヒーとかコーラとか売ってるあれですよね?」
「ああ。それ以外も。焼きおにぎり、たこ焼き、
アイスクリーム、ハンバーガー、アメリカンドッグ、
フライドポテト、コンビーフサンド、カップヌードル……
自販機は実に様々なものを提供してくれる。
日本は自販機大国なんだよ。発祥も日本なんだ」
「んーと……個性的な趣味ですね」
なんとかミヤギはフォローを入れてくれる。
実際、くだらない趣味だ。見方によっては、
鉄道マニアを更に地味にしたような趣味。
くだらねー人生の象徴だよなあ、と自分で思う。
105:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:54:05.52 ID:VnWGrOgI0
「でも、なんとなく分かる気はします」
「自販機になりたい気持ちが?」
「いえ、さすがにそこまでは理解不能ですけど。
自販機って、いつでもそこにいてくれますから。
金さえ払えば、いつでも温かいものくれますし。
割り切った関係とか、不変性とか、永遠性とか、
なんかそういうものを感じさせてくれますよね」
俺はちょっと感動さえしてしまった。
「すげえな。俺の言いたいことを端的に表してるよ」
「どうも」と彼女は嬉しくもなさそうに言った。
106:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 20:56:48.97 ID:VnWGrOgI0
そういうわけで、俺の自販機巡りの日々が始まった。
原付に乗って、田舎道をとことこ走る。
自販機を見かけるたびに何か買って、
ついでに安物の銀塩カメラで撮影する。
別に現像する気はないんだけど、何となくな。
そんな無益な行為を数日間繰り返した。
こんなくだらない趣味一つをとっても、
俺よりもっと本格的にやっている人が沢山いて、
その人たちには敵わないってことも知っている。
でも俺は一向に構わなかった。なんか生きてる感じがした。
俺のカブ110は幸いタンデム仕様だったので、
ミヤギを後ろに乗せて、色んなところをまわれた。
ようやくやりたいことが見つかって、天気にも恵まれて、
俺の生活は一気にのどかなものに変わった。
110:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:07:57.50 ID:VnWGrOgI0
原っぱに腰を下ろして、俺は煙草を吸っていた。
隣では、ミヤギがスケッチブックに絵を描いていた。
「仕事しなくていいのか?」と声をかけると、
ミヤギは手を止めて俺の方を向いて、
「今のあなた、悪いことしなさそうですから」と言った。
「そうかねえ」と言うと、俺はミヤギのそばに行き、
彼女が線で画用紙を埋めていく様を眺めた。
なるほど、絵ってそうやって描くのか、と俺は感心していた。
「でも、そんなに上手くないな」と俺がからかうと、
「だから練習するんです」とミヤギは得意気に言った。
「今まで書いた奴、見せてくれ」と頼むと、
彼女はスケッチブックを閉じて鞄に入れ、
「さあ、そろそろ次に行きましょう」と俺を急かした。
111:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:11:56.75 ID:VnWGrOgI0
ある日、俺が目を覚まして部屋のすみを見ると、
そこにいつもの子の姿はなくて、代わりに、
見知らぬ男がかったるそうに座っていた。
「……いつもの子は?」と俺はたずねた。
「休日だよ」と男は答えた。「今日は、俺が代理だ」
そうか、監視員にも休日とかあるんだな。
「へえ」と俺は言い、あらためて男の姿を眺めた。
露天商とかにいそうな感じの、うさんくさい男だった。
すげえ遠慮のない感じで存在感を撒き散らしてたな。
112:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:16:17.23 ID:VnWGrOgI0
「お前の寿命、最安値だったらしいな?」
男は露骨に俺をからかうような調子で言う。
「すげえすげえ。そんなやついるんだな」
「すげえだろ? なり方を教えてやろうか?」
俺が淡々と返すと、男はちょっと驚いたような顔をした。
「……へえ、お前、結構余裕あるみたいだな?」
「いや、しっかり今ので傷ついてる。強がりさ」
男は俺の発言が気に入ったらしく、
「お前みたいな奴、嫌いじゃないよ」と笑った。
113:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:18:28.43 ID:VnWGrOgI0
監視員が男になったことによって、
俺はかなりリラックスできるようになった。
男はそんな俺の様子を見て、言う。
「女の子が傍にいると落ち着かねえだろ?
なんかキリっとしたくなるよな。分かるぜ」
「そうだな。あんたの傍は落ち着くよ。
あんたになら、どう思われようと構わないから」
俺は『ピーナッツ』を読みながらそう答えた。
ミヤギの前では恥ずかしくて読む気になれなかった本。
そう、実を言うと、俺はスヌーピーが大好きなんだ。
「そうだろうな。……ああそうだ、ところでお前、
結局、寿命を売った金は何に使ったんだ?」
そう言うと、男は一人でくっくっと笑った。
114:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:21:32.39 ID:VnWGrOgI0
「一枚ずつ配って歩いた」と俺は答えた。
「一枚ずつ?」と男はいぶかしげに言った。
「ああ。一万円を三十枚、三十人に一枚ずつ。
本当は人にあげるつもりだったが、考えが変わった」
すると男はタガが外れたように笑い出したんだ。
それから、俺にこんな質問をしてきたんだよ。
「なあ、お前――まさか、本当に自分の寿命が
三十万だって言われて信じちゃったのか?」
115:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:25:56.79 ID:VnWGrOgI0
「どういうことだ?」と俺は男に聞いた。
「どういうも何も、言葉そのままの意味だ。
本当に自分の寿命、三十万だと思ったのか?」
「そりゃ……最初は、安すぎると思ったが」
男は床を叩いて笑う。俺は不愉快になってきた。
「そうかそうか。俺からはちょっと何も言えないが、
まあ、今度あの子に会ったら、直接聞いてみな。
『俺の寿命、本当に三十万だったのか?』ってな」
118:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:28:34.12 ID:VnWGrOgI0
次の朝、アパートにやってきたミヤギに、
俺は男に言われた通りのことを訊ねてみた。
「もちろんですよ」と彼女は答えた。
「残念ですが、あなたの価値、そんなものなんですよ」
「ふうん」と俺が小馬鹿にしたような態度で言うと、
ミヤギは俺が何かに気付いていることを察したらしく、
「代理の人に、何か言われたんですか?」と俺に聞いた。
「俺はただ、もう一回確認してみろって言われただけさ」
「……そんなこと言っても、三十万は三十万ですよ」
あくまでしらを切り通すつもりらしいんだな。
130:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:37:09.37 ID:VnWGrOgI0
「最初は、あんたがネコババしてると思ったんだ」
ミヤギは、ちょっとだけ目を見開いてこちらを見た。
「俺の本来の値段は三千万とか三億なのに、
あんたがこっそり横領したんだと思ってた。
……でも、どうしても信じられなかったんだよな。
何か俺は根本的な勘違いをしてるんじゃないか、と思った。
それで一晩考え続けて、ふと気づいたんだ。
――そもそも俺は、前提から間違ってたんだな。
どうして寿命一年につき一万円という値段が、
最低買取価格だなんて信じてたんだろう?
どうして人の一生が本来数千万や数億で売れて
当たり前だなんて信じてたんだろう?
多分よけいな前知識がありすぎたんだな。
自分の勝手な常識に物事を当てはめ過ぎた。
俺はもっと、柔軟に考えるべきだったんだ」
俺は一呼吸おいて、それから言った。
「なあ、どうして見ず知らずの俺に、
あんたが三十万も出す気になったんだ?」
141:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:41:52.62 ID:VnWGrOgI0
ミヤギは俺の言葉の意味を分かっているみたいだったが、
「何を言ってるのかさっぱりわかりませんね」と言って、
いつものように部屋のすみに腰を下ろした。
俺はミヤギが座っている位置の
対角線上にある部屋のすみに移動して、
彼女と同じように三角座りをした。
ミヤギはそれを見て、ちょっとだけ微笑んだ。
「あんたがしらんぷりするなら、それでもいい。
でも一応言わせてもらうよ。ありがとう」
俺がそう言うと、ミヤギは首をふった。
「いいんですよ。こんな仕事ずっと続けてたら、
どうせ借金を返し終わる前に死んじゃうんです。
仮に払い終えて自由の身になったとしても、
楽しい人生が約束されてるわけでもないし。
だったらまだ、そういうことに使った方がいいんです」
146:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:44:51.06 ID:VnWGrOgI0
「実際のとこ、俺の価値っていくらだったんだ?」
ミヤギは「……三十円です」と小声で言った。
「電話三分程度の価値か」と俺は笑った。
「悪かったな、あんたの三十万、あんな形で使っちまって」
「そうですよ。もっと自分のために使って欲しかったです」
怒ったような言い方をしつつも、ミヤギの声は優しげだった。
「……でも、気持ちはすごくよくわかるんですよ。
私があなたに三十万円与えたのも、似たような理由からですから。
さみしくて、かなしくて、むなしくて、自棄になったんですよ。
それで、極端な利他行為に走ったりしたんです」
150:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:47:25.60 ID:VnWGrOgI0
「でも、落ち込むことなんてありませんよ。少なくとも私にとって、
今のあなたは三千万とか三億の価値がある人間なんです」
「変な慰めはよしてくれよ」と俺は苦笑いした。
「本当ですよ」とミヤギは真顔で言う。
「あんまり優しくされると、逆に惨めになるんだ。
あんたが優しいことは十分に知ってる。だから、もういい」
「うるさいですね、だまって慰められてくださいよ」
「……そんな風に言われたのは初めてだな」
「というか、これは慰めでも優しさでもないんです。
私が言いたいことを勝手に言ってるだけですよ」
157:名も無き被検体774号+:2013/05/07(火) 21:55:50.93 ID:VnWGrOgI0
「……あなたにとっては、何でもないことでしょうけどね」
そう言うと、ミヤギはちょっと恥ずかしそうにうつむく。
「私、あなたが話しかけてくれることが、嬉しかったんですよ。
人前でも構わずに話しかけてくれることが、すごく嬉しかったんです。
私、ずっと透明人間だったから。無視されるのが、仕事だったから。
普通の店でお話しながら食事したり、一緒にショッピングしたり、
そんな些細なことが、私にとっては夢みたいでした。
場所も状況も選ばず、どんな時も一貫して私のことを
“いる”ものとして扱ってくれた人、あなたが初めてだったんですよ」
「あんなことでよけりゃ、いつでもやってやるよ」
そう俺が茶化すと、ミヤギはいじらしい笑顔を浮かべた。
「そうでしょうね。だから、好きなんです。あなたのこと」
いなくなる人のこと、好きになっても、仕方ないんですけどね。
そう言って、彼女はさみしそうに笑った。
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